ひ。の独り言「生きるということについて」

 

 はい、ちっす。

 後悔はないけど、反省なら腐るほどある、ひ。です。こんばんは、こんにちは、おやすみなさい。

 このはてなブログというもの、というか、ネットというものでどのくらいの年代の方々が見ているのか、自分はあまりわからないんですが、読書とか学習とか誰かの言葉を書き留めているだけよりも、自分自身を少し晒し上げて、自分自身について深堀りしていこうかと思って、こうして書いてみることにしました。もちろん原稿とかその他何も用意していません(笑)。常に即興です、ご容赦ください。

 最近、生と死というものを考える機会がありました。親戚が癌になっていたそうで、余命半年らしいんです。あまりに軽く伝わってきたので、自分はそんなに実感はないし、もともとずっと会っていなかったので、冷たい言い方ですが、あまり思うこともなかったりします。実際、いとこに最後に会ったのは、たぶん、10年以上前かもしれません( ゚Д゚)。今何をしているのかも知りません(笑)。知らないということは、元気なんだと思います。

 さて、話を戻しますが、余命半年(実際はそれが伝わったのが遅かったのでもう残り3か月くらいっぽいです)ということを聞いて、自分の過去を、ふと思い出しました。もともと自分は子供の頃から自分の「生」に対して興味がなく、「こんなくずは早く死んだほうがええよ」くらいに自分のことを思っていました。実際、13歳の時に1度死んでいます(´・ω・`)。まぁ運よくなのか運悪くなのか、わかりませんが、生き残ってしまったので、「まぁしゃあない」「生きてるんだから、おまけだと思って生きとくか」みたいな感情と「迷惑かけて生きてきたから、たぶん長生きできないから、関わった人に贖罪のように生きよ」というのも思いました。

 クズだった自分ができることなんて限られているんですけど、それなりにやったことのない勉強というものをすることにしました。まぁ中学二年生まで勉強というか、教科書すらまともに開いたことがない人間が勉強するんですからね、まぁ環境ってのは恐ろしいです(笑)。当時親が離婚して、母親の実家に転がり込んだんですね。それで、「普通」を求められるようになったという感じです。自分の記憶では、中学2年時にテストを受けた記憶はございません(笑)。学校もまともに行っていないし、塾とかに通わされたら月謝を塾に渡さずに自分で使っていたようなクズです。それが「普通」を求められたんですからね。

「生きるため」

 って言われました(笑)。生きるために、祖父がやっていた事業を手伝い、「学校になんか行かんでもええわ。ひ。はこれやれ」って祖父に言われたものの、母と祖母が「学校はいってね」と言われて、学校に行きました(笑)。もう学校に行くだけでも面倒臭いって思っていたんですけどね。さて、学校に行くようになったら、まぁ誰もが腫れものを触る感じですよ。自分が同級生と最後に話した記憶は、Sくんっていう同級生が呼び捨てにしたことにいら立って、「誰のことを呼び捨てにしてるの?」って胸倉をつかんだところで終わっていますから。

 当時は、

 んーどうしようかなー

 って思っていました。まぁひきこもりというか、学校大嫌い人間だったので、もはや誰も知り合いいなかったんですよね。同じ小学校だった同級生も、まったく話しかけてきませんし、こちらから話しかけると、ひきつった笑顔を向けてきましたから。家庭環境が劣悪だったので、顔色だけは見ることができていたみたいで、「あぁ話しかけないほうがええんやなー」って思って、顔馴染みだった同級生とはまったく話せませんでした。

 まぁクズな人間なんで、そりゃあ仕方ないですよ。もはや、何をするかわからない犯罪者みたいな感じでしたねー。一度死んだ人間が生きているってのは、こんなもんなんです。仕方ない。それが中学三年生の始まりですね。

 そんなくずな、ひ。でも友人を一人つくれました。関西から引っ越してきたGです。まぁジャイアンですね(違っ(笑))。友達の作り方なんてわからないので、話しかけるよりも喧嘩を売る感じでしたね。それでも、彼とは中学3年のときはずっと一緒にいました。彼と一緒にいることで、それなりに新しい友達も増えて、結構真面目に学校にいっていたと思います。その時の担任教師も自分にはとても良かったんですね。「ひ。くん、君はやればできるんだから」って言ってました(笑)。まぁもともと何もやらないんで、それよりはできるようになると思いますよ。この担任教師は、「君たちは、もう一人の人格を持っている人間なんだから、僕はひとりひとり尊重して、決して呼び捨てにはしないから」という人でした。このM先生がいたから、自分は高校というものに行けたんだと思います。

「高校なんて行かなくていいぞ」

 祖父はそう言いましたね(笑)。まぁそれなりに忙しい事業でしたからね。「お前はこれをやれ」みたいな感じでした。でも、女性陣が大反対して、高校に行くことになりました。結局事業形態にもよりますが、家族経営というのは、みんなを巻き込んじゃいますからね。そうすると、ひ。のこれからの人生に関わる人たちも巻き込むことになるから、そういう経験を持っている女性陣が、ひ。には祖父の事業を継がせたくなかったって感じです。実際雇われているほうがむっちゃ気楽ですからね(笑)。

 高校は、まぁ青春でしたね。むっちゃ真面目になりましたから。個人的にひとことで言うと、「真面目ってすごくらくちん」でした。学生でいる間は、真面目であれば何も言われないことに気づいたんですね。だから、らくちんに生きていました(笑)。ただ、時間的には厳しいものがありましたよ。学校に行って、帰ってきたら仕事していましたから。冬休みとか全部潰れて、「何で俺がこんなことしなかんの」と思っていました。今ではいい思い出ですし、当時は、まったく生と死を考えたことがないまま過ごしていましたね。だから、ぼんやりと幸せに生きていた時期です(笑)。

 長くなるから、ひ。の過去はもう書くのをやめようかな(笑)。誰も見ていないと思うと、キーボードを打つのが止まらないんですよね(笑)。

 自分が「生と死」を再び意識するようになったのは、社会人になる手前ですね。何もしたいこともないし、未来に何も希望を抱いてない時期だったので、就職活動というものをする気が起きなかったのです。くずに逆戻りみたいな感じですね(笑)。まぁ正直いって就職なんてどこでもいいやって思っていました。一所懸命就職活動している人たちを見ながら、自分は興味を失っていましたね。もともとみんなががつがつし始めると、興味を失ってしまう性格だったみたいです。天邪鬼というか、社会不適合なんでしょうね。まぁ仕方ないことです。そういう人間も世の中にはいます(笑)。

「何で生きるのか?」

 就職活動をまったくしようとしない、ひ。に対して、投げかけられた言葉でした。これは、当時、というか今でも、ひ。にとっては難題です。ここではお見せしませんが、当時のスクラッチブックには、このことで、何十枚も書きなぐっていましたね。「何で」という表現はどういうことを意味しているのか、とか、「生きる」の反対は「死ぬ」ってことなのかな、とか、「何で死なないのかな?」とか。。。まぁ病んでますね(笑)。でも、こうして病んでいる人って、自分のほかにもいるんじゃないのかなって最近は思ったりもしています。だから、あまり自分が前面に出る気はなかったのですが、こうして、色々な媒体で公開していこうかなって思ったんですね。自分が救われたように、誰かが変わるきっかけになれたらいいなって感じです。

 話を戻ると、当時は、これを答えるために毎日過ごしていました。ほかに何もしませんでしたね。生きることがわからなかったら、今死んでも変わらないんじゃないかって思っていましたから。ちなみに、今でも答えにくいです(笑)。

 で、当時の自分の結論は、

「何かを残すために生きる」

 ということでした。財産、子孫、なんでもいいんです。生きているものすべて、何かを残すために生きているんだって思いました。

 でも、自分は、「何かを残したい」という欲求がなかったんです。お金持ちになって財産を残したいとかもなかったし、親の離婚を見ていたから結婚願望もないし、自分みたいなクズ人間の子供はかわいそうだから子供をつくる気もないし、ってな感じで、残すものが見当たらなかったんですね。ってことは、生きる意味ないなーって思いましたね。何もないんですよね。考えてみれば、13歳の時に死んだと思ってからは、贖罪とおまけで生きてきただけで、そのおまけの消費期限が切れてきたんだなって感じました。

 余命半年。

 当時の自分は、自分自身に余命を決めましたね。どうせ長く生きても何も残せなくてだらだらぐずぐずするのが目に見えているので、期限を決めたほうが何かするだろうって感じです。まぁ今もまだ生きているので、笑っちゃいますけどね。あの頃の自分がネットに残したものは、実は、まだ残っています(笑)。もはや、誰にも見せる気はありませんし、当時を知っている人がひとりだけたまに見に来てくれているので、そのまま残しておこうと思っています。

 ただ、当時の自分に対して、今となっては感謝しています。この余命半年って決めて過ごした日々は、本当に充実していましたね。毎日毎日カウントダウンしていく緊張感です。生きているっていう実感と、何かしなければいけないっていう焦燥感ですね。

 そこからまた不甲斐なくも生き残って、まぁ予想通りだらだらと生きていたわけですが、最近の親戚の余命半年ということを聞いた時に、その当時を思い出しました。何気なく生きていたんですが、せっかくなんで、やりたいことは全部やってから死にたいじゃないですか。おまけの人生も終わって贖罪の人生も終わっちゃったんで、あとは、自分のしたいことをしていたら、人生は終わりかなって思っています。ただ、生物は何かを残すべきだ、と思っています。だから、いろいろなところに足跡を残そうかなって思っているのが昨今です。

 まぁまだ死にませんけどね(笑)。むしろ、なぜかしぶといんで死なないんですよね。

 なにはともあれ、現代社会でも「死にたい」と思う人も、「死ぬほど悩んでいる」人も、まだまだいるんだろうなって思います。ひ。は、今はそういうのをあまり思わなくなっているので、何かを伝えられたらいいなって思っていたりします。

 結構長くなっちゃった(笑)。なんだか、ごめんね(´・ω・`)

 

 さて、ここまで読んでくれた方がどれだけいるかわかりませんが、ありがとうございます。

 では、さよーならー。