『学・経・年・不問』城山三郎著
はい、ちっす。
身近にあるゴミのような使いかけのものを再利用できるDIY能力が欲しいと思っている、ひ。です。こんばんは、こんにちは、おやすみなさい。
最近、昔読んでいた漫画とか、工作で使っていた画用紙とかがそれなりに出てきました。ひ。は結構捨てられない人です。断捨離下手なんですね。なんだか、その物には、思い出が詰まっている気がして、手放し難いんです。先日森博嗣さんの本をチラッと読みました。「断捨離、必要なの?」みたいな文章を読みながら、今だったら、断捨離よりも、そのアイテムたちがもっと生きる可能性があるんじゃないのか、と思ってきました。ということで、断捨離もしますが、思い出が詰まったものたちは、形を変えて生まれ変わってもらおうと思っているわけです。そこに関しては、Twitterで完成画像を上げていこうかと思っています。要望があれば、ブログに写真を載せていくことも検討します。あとは、たまにYouTubeでも手作り再利用アイテムを作っている姿をアップしようかなって思ったりもしています。時間があれば、やろう。うん、時間がなくても、やろう。と思っています(笑)。
さて、今回は、いつも通りに、結構昔の本を紹介していこうと思います。
おそらく、百円で買えるくらいなコーナーにおいてある名著です(笑)。
それは、城山三郎さんの「学・経・年・不問」です。久し振りに読んだら、面白くてやばいですね。バリバリに働く人と、マイペースに働く人。どちらも、否定していないところが素敵です。今の時代にぴったりだと思っています。新しい本も結構なんですが、こういう既刊本での名著は本当に勉強になるし、そういう本と出会ったときの感動は、新刊では味わえないものがあったりしますよ。
では、本文から、ひ。の読書ノートに書き記したところを残していきます。
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・「きまっているというのは、おれの相手となるべき女性が、現にいまこの地球上のどこかにまちがいなく一人実在してるということだよ。30以上年下の女をもらわぬ限りはね」野呂久作
・伊地岡勇が「たいへんだ」と言うなり飛び出して行ったが、いったい、この世でたいへんなこととは何だろう。人生は永い。人間は多い。地球は広い。いろいろな事が起こるのは当然だ。それを一々たいへんがっていては。
→明日いきなり56歳になれば、少しは大変かもしれないが。
・「たいへんだ」と言うことがわからない野呂に対して…
小役付たちは、それを野呂の想像力の貧困のせいにしている。だが、野呂からしてみれば彼等こそ想像力が過剰なのだ。あわてて煩うのは無駄。ほんとうのことは、そのときになってみなければわからない。たいへんなら、そのときになって、たっぷり、たいへんさを味わえば良い。焦ることはない。
・さぼるとか、遊ぶとかいう意識はない。その30分の間、彼は彼なりに考える。平社員は走り廻ってさえ居ればよいというのではない。平社員にだって、会社のために考えることはいくらでもある。葉巻をくゆらせて瞑想する時間を持つことも、会社への貢献ではないか。
・資産家 望月老人
甘い物を食うというたのしみが、望月にとっては、時には相場を考えること以上に貴重なのかもしれない。
→金もうけは、所詮は何かのたのしみのためである。単に金もうけのための金もうけというのでは、それは怪物の生涯であり、もはや人生の名に値すまい。その意味では、甘い物のために捧げられる人生があったところで、おかしくはない。
・望月は豊かに走っている。随所に主となっている。遊ぶために走っている。それなのに、伊地岡は貧寒として走っている。走るために走っている。走ることの奴隷になっている。
・キドニタテカケセジの話題
季節、道楽、ニュース(政治、宗教は✖)、旅、天候、賭け、健康、セックス、趣味
・読書について、野呂の言葉
「この1年の経験から、著者たちの言っていることが正しいのか正しくないのか、たのしんで採点しているんだ」
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ひ。の読書ノートから、でした。
個性的な面々の人生が鮮やかに描かれていて、人生観の勉強になりました。幸せは、人それぞれなので、伊地岡みたいに生きたいっていう人も、野呂みたいに生きたいって人もいるでしょう。ただ、どのように生きていても、その時その時を楽しめるように生きていたいものですね。
今回はこの辺でおわります。
ありがとうございます。さよーならー。